「レールの敷かれた人生」ってご存知ですか?
簡単に言うと、将来がほぼあらかじめ決まっている人生のことです。
人生はただでさえ先が見えないと言われている中で、レールが敷かれていればこの上なく安心です。
しかしそれを良しとするかどうかは人それぞれではないでしょうか?
そんなレールの敷かれた人生について考えてみたいと思います。
★今回の内容★
レールの敷かれた人生って具体的には何を指すのか
そもそもレールの敷かれた人生ってどこから始まっていてどこで終わり、何を指すものなのでしょう。
私個人の考えになりますが
「生まれた時から何かしらのレールには乗っている」のではないかと考えます。
そして一時的な終着点は
「就職して社会人になった時」を指すのではないでしょうか。
その後は家庭を持ったり、会社における出世だったりが終着の目安になりそうですね。
例えばですが
経済的に裕福な家庭の子とそうでない家庭に生まれた子では、お世辞にも同じレールに乗っているとは言えません。
裕福な家庭の子は幼少期から習い事や、〇〇大学附属の幼稚園などに入園することもあるでしょうし食事も恵まれたものを与えられることが予想できます。
さらに幼稚園~大学まで一貫の学校で学び、四大学卒業という証明を半自動的に引っ提げて相応の企業に向けて就職活動に臨んでいく。なんていうこともあるかもしれません。
一方そうでない家庭に生まれた子は、習い事や私立の学校に入る余裕もないでしょう。
自分で努力し、高校までは何とか行けたものの大学は遠方でお金の都合上、あきらめざる得ない。
アルバイトをしながら就職活動をするものの、高卒の経歴では企業の反応はいまひとつ。
そんなふたりの人生が同じレールに乗っているとは思えません。
それぞれが違う終着点に向けて走りだしているのです。
先の決まった人生は幸せなのか?
レールが敷かれている。
つまり先の決められている人生を生きていくのは幸せなのか?について考えてみると
自分で進むべき道を決められない。
もしくは
自分の能力や経歴で到達できる道が明るくはない。限界がある。
そんな人には、あらかじめ先が約束されている人生は合っているように思います。
先が見えない不安を払拭してくれる確固たるものがあれば、大半の人は安心して生活していくことができるでしょう。
一方でそれが自分にはイマイチしっくりこないと感じる人もいるでしょう。
それは自分で切り開くことに意味と価値を見出す人です。
あらかじめ答えが見えているものは退屈で仕方がないし、そもそも何のために生きているのか疑問。
自分次第でどうにでも変われるのが人生の醍醐味であるのだから、目標に向けて努力し邁進していくべきだ
そんなタイプの方にはうまくはまらないかもしれませんね。
結局先の見える人生を幸せと感じるかどうかは人それぞれということです。
幸せの尺度も違いますから、どちらが良いともいえませんね。
しかし先が見えている、レールが敷かれているというのも人生においてのアドバンテージのひとつであるのは確かでしょう。
自分の乗るレールが最初から選べるわけではありませんからね。
敷かれたレールから外れるということ
電車をイメージしていただければ一目瞭然ですが、敷かれたレールに乗っていれば自動的に終着点に到着します。つまり楽です。
その点レールから外れるというのは、とても困難であると言えます。なにしろ道がないですからね。
しかし中には
「与えられた道をただ歩いていくのは嫌だ」
というような具合で、それでもレールに乗って生きたくないと思う人も出てくるでしょう。
もし自分の道を進みたくなった時には、いくつかの点を充分に考慮した上で判断してもらいたいと思います。
まず敷かれたレールから外れて生きるということは結構ハードであるということを認識し、相応の覚悟を持つことが必要です。
そして結果的に敷かれていたレールにのっていた方が良かった。
ということにならないよう信念をもって自分の道を進むべきです。
敷いたレールに乗せてもらって進んでいるのもタダではありません。そこには様々な経費が掛かっています。
その選択によって自分は幸せになれるのか、後々充分なリターンが見込めるのか。
あらゆる面でじっくり考えて行動する必要があります。
短絡的に何となくといった気持ちではおすすめできません。一か八かの要素が強すぎます。
また、自分にとっての終着点が極端に違っているようなら、ほぼすべてが無駄になりお金がかかるだけなので、早い段階でレールから外れてしまうほうが周囲への負担も軽いです。
例えば、そのまま過ごしていれば四大を出て企業に就職。
しかし本人の夢はバンドマンで、将来はその世界で生きていきたい。
こうなってくると方向性がちぐはぐですし、バンドで成功するのが夢ならば早い段階で専門性の高い世界に触れておくほうが、成功する可能性も高いでしょう。
一番良くないとされる何となく嫌だから・・・という理由でレールの敷かれた人生から外れてしまう人。
再び乗りなおしたいと思っても、かなり厳しい状況になることを覚悟しておくべきでしょう。
方向性が同じならある程度レールに乗っておくのもアリ
例えば自分のビジョンが
「いつか自分で会社をつくって社長になる」
「ゆくゆくは転職して〇〇になる」
というものであるならば、四大卒業・就職して数年間社会を学ぶ・・
ココまでは同じレールに乗っていても良いのではないでしょうか。
むしろ折角の良い条件を自分で捨ててしまうようにも受け取れます。
先述した通り、生まれた時から人生のレールがある程度敷かれているのですから、悪路ではない限りそのレールに乗っておいて恩恵を受けておくのも大事であるということです。
ましてや四大卒などある程度の経歴・資格を残しておけば、いざ失敗したとなっても立て直せる可能性が充分にあります。
リスクを考えて行動するのであれば選択肢を少しも増やし、残しておくことが大事です。
敷かれたレールから外れる勇気
これまでのことを振り返ってもなお、この決まりきった道から外れたいと思うのであれば、それは本人にとって相当やりたいことであったり、もしくは何か他の事にエネルギーをぶつけたいと思っているのだろうと思います。
新たな道に踏み切る時には「勇気」が必要です。
ただし、周囲への配慮が欠けた大胆さと勢いだけの「蛮勇」ではいけません。
自分自身を冷静に客観視し、ある程度の根拠に基づいた上で自信があるようであれば、あとは勇気を持って進むだけです。
私の個人的な思いになってしまいますが
皆さんそれぞれなりたい夢が子供のころにはあったのではないでしょうか。
しかし社会を知り、現実を知っていくとその夢はいつしか自分には実現不可能なものとして勝手に認識され、頭の中かた葬り去られてしまいます。
そんな中でも自分を貫いた一握りの人が夢をかなえて成功させている姿をみると、心のどこかでは羨ましい気持ちがあるはずです。
多くの人が夢を諦め、安定した生活を求めて就職するわけですが、理想は全員が夢を実現させてその世界で働いていくことですよね。
(まぁバランスがめちゃくちゃになるのでそれは無理な話ですが・・・)
というわけで、もしそんな夢があるならば、ビジネスとして実現可能なレベルまで努力した上で挑戦してもらいたいと思います。
たとえとある企業の次期社長として敷かれているレールに乗っていたとしても、それが明らかに自分にとって向いていない、好きではないと感じているのであれば続けていくのは苦痛です。
成功する努力と信念。
そしてそこから外れる勇気をもって理想に向かって進んでいけば、意外と簡単に自分にとっての新たな人生のレールを発見できるかもしれませんね。