世の中が理不尽なことばかりなのは、当たり前だと考えましょう。

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「ことわりをつくさず」

と書いて理不尽。
この世の中、理不尽が当たり前のように横行していますね。

 

自分が正当性を主張しても理解されなかったり・・

悪いのは明らかに向こうなのに謝罪したり・・

 

やんなっちゃいますね

そんな理不尽な世の中に、

私たちはどのように対応していけば良いのでしょうか。

 

この記事ではそんな理不尽について、

ふと考えてみました。

 

自分自身が生きづらくならないよう、

何かヒントが見つかれば幸いです。

 

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世の中理不尽なことばかり

理不尽を辞書で調べてみると、

「道理に合わないこと」

だそうです。

 

そして、やはり何年勤めても感じることは、

「大人の社会は理不尽なことだらけの世界だなぁ・・」

ということです。

 

そんな理不尽の基本あるあるをご紹介します。

 

・権力によって意見が歪められる

権力の強弱によって、

本来あるべき形が簡単にゆがめられてしまう。

そのようなことが往々にしてあります。

なかにはそんな不条理に耐えられず、

挫折してしまう人も多いのではないでしょうか。

 

私自身も、先を見通した上でこれ以上ないベストの提案を、

上司に持っていくことがあります。

しかし、その上司の気分がなんとなく乗らなければ・・

1発で却下になります。

 

その提案が企業や全員にとって最善の提案であったとしても。

です。

 

その提案の為に費やしていた時間は全て無駄になり、

やるせない気持ちでモチベーションも大きく下がります。

 

ガックリです

・仲間のフォローをするも本人は知らん顔

影の自分の苦労が報われていないような気がするのも、

理不尽な世の中に感じてしまう出来事です。

 

ビジネスで、自分のミスではないにもかかわらず、

このままではあらゆる人に迷惑が掛かると、

寝る間も惜しんで最大限フォローに回った。

 

結果、何とか事なきを得て、

迷惑を掛けずに済んだ。

 

しかし、

肝心のミスの原因となった当人は知らん顔。

というよりそのことにすら気付いていない。

 

非常にやるせない気持ちになるものです。

 

・社会通念上の正義が悪に負けてしまう

幼少期より正しいと教えられてきたことを貫こうとした時に、

正対する悪にぶつかってしまい、負けてしまうことも理不尽に感じますね。

 

ゴミのポイ捨てを注意した側が、

注意された側に痛い目に合う。

 

などというのが、分かりやすくよくある形ですかね。

 

このように、この世の中には理不尽な出来事は日常茶飯事です。

この社会において、理不尽というものは基本的について回るということを、

まず理解する必要があります。

 

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「理不尽」を「当たり前」に置いておく

とにもかくにも、この世界は理不尽です。

大人になると尚更そのように感じる場面が多くなるかもしれません。

しかしながら、

いちいちその事に腹を立てて抗議していくことは、

組織で働いていく中であまり得策とは言えません。

 

上司との間に摩擦が生じるとマイナスの印象がついてしまい、

それが

・査定

・昇給

・人事

など自分の生活に響いてくる可能性もあります。

また、そのことでストレスを溜めこみ、

身心に影響が出てしまっては、仕事に支障をきたしてしまいます。

 

結果として体調が優れないまま退職。
などという最悪のパターンになってしまっては、元も子もありません。
何のために必死になってその会社に就職したのでしょうか。

 

ではどのように対処すればよいかといいますと・・

 

まずは、

理不尽を当たり前のこととして捉えましょう。

 

それは難しいっす・・

 

「じゃあ自分の正義は捨てろということですか!」

「そんな大人社会はこっちから願い下げだ!」

 

と、言いたい気持ちもわかります。

これはあくまで大人の社会を渡り歩くうえで、

基本スタンスの1つとして備えてもらいたいです。

ということであって、

ペコペコ頭を下げてイエスマンになっていれば良い。

ということではないです。

 

ここで大切なことは、

「理不尽に対して耐性を高めること」

です。

自分の持っている理念・ポリシーは捨てる必要はありません。

ですが、発揮できるその時まで、

心の中で研ぎ澄ませておいておくべきです。

 

発揮できるその時というのは、

立場上、進言できるようになった時

・自分に対抗できる十分な力が付いた時・

このような場合です。

 

不本意な内容に対しても、

適当に話を合わせておくというのを、

コミュニケーションスキルのひとつとして持っておくことも大事です。

 

 

 

世の中の理不尽なことに打ち勝つには?

広い心

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どう考えても自分の中では理不尽であると思った時は、

向き合うしかないでしょう。

 

対抗するには一体どのようにすれば良いのでしょうか?

 

仕事でいうならば、成果をあげていくうちに、

自然と自分と同じ理念を持った仲間が近くに現れることがあります。

その同志を集めて、さらに成果をあげていきましょう。

 

そこでようやく理不尽への対抗に対する、

スタートラインに立ったことになります。

 

管理職の立場からすると、

会社にとって実績がある貴重な人材に対して、

理不尽な命令で適当に扱っていくことはできなくなってきます。

 

つまり、理不尽とぶつかった時にそう簡単につぶされることのない、

土台作りをすることが大事であるということです。

 

そのためには実績と信頼が必要です。

日々の仕事をしっかりとこなし、

虎視眈々と力を蓄える必要があるということです。

 

幼少期に世の中の理不尽を学べるか

突然話は変わりますが、

子供の頃というのは純粋無垢で、

成長とともに様々な体験をするわけですが、

皆さんはその時に理不尽を学べたでしょうか。

 

例えば

・学校でリーダー格の人にお遣いを頼まれた・・。(いわゆるパシリ)

・自分の本意ではないが場の雰囲気を読んで、おとなしく従った・・。

・まったく自分に非はないが怒られた・・。

など。

 

これらを経験された方はこの時点で、

「なんでこんな目にあわなけりゃならないんだ・・」

とモヤモヤした気持ちを感じたことでしょう。

その感情を幼少期で経験すると・・

ある意味で諦めといいますか、

 

「こういうことが起こり得るものなんだなぁ。」

 

と学ぶことになりますよね。

 

全くやれやれだぜ・・

 

コミュニティが変わっても、大人になっても、

それは変わらず続くもの。

という耐性が身に付いているはずです。

それはある意味でプラスでもあります。

 

一方で、

全くその理不尽を経験できずに、社会人になってしまう人もいます。

例えば、

・適切な距離感で空気のように目立たず生きてきた人

・学校内のグループでリーダーなど上位の位置にいた人

・一匹狼で誰とも群れずに生活してきた人

などです。

 

この辺りの人は、

場合によって理不尽をかいくぐってきた可能性があります。

 

今は学校の先生も、

ひとりひとりの個性を尊重しているため、

理不尽な指導は無くなりつつあります。

 

となると、自分のクラスやグループ・・

同世代のコミュニティからしか経験する機会がありません。

 

そういった意味では、

一昔前の方々のほうが経験値は高かったといえるでしょう。

ただし、それが良いか悪いかはまた別の話ですが・・。

 

経験という意味では、

理不尽な思いをした人と、

全くそんな思いをしたことがない人では、

対応の差が出るのは必然です。

しかし、それが社会に出てから大きな影響を及ぼすかというと、

それもまた定かではありません。

 

それでも大人になってから理不尽を体験し、

大きな挫折してしまうと、

ゆっくり立ち直るような時間はなかなかありません。

その間に社会から置いていかれてしまう可能性もあります。

 

そういった意味では、

幼少期に耐性を身に付けておくのも、

大人社会で生き抜いていくひとつの方法かもしれません。

まぁ一番問題なのは子供の時に教えている事と、

大人になってからの生き方が違うというところだと思いますが・・

 

忖度とか

 

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理不尽とパワハラ

近年

・パワーハラスメント

・ブラック企業

などという言葉が流行し、

国の働き方改革も相まって、雇用される側の意識も大きく変わってきました。

 

経営する側はコンプライアンスなどの服務規律を重要視し、

働きやすい職場作りにつとめていることかと思います。

 

そんな流れを受けてか、上司からの命令が自分にとって納得がいかないからと、

すぐにパワハラだと強調するような若手社員が身近に存在していないでしょうか。

もしくはいつの間にかそんな社員に自分がなっていないでしょうか。

 

ケースバイケースですが

自分にとって理不尽だから、

パワーハラスメントだと過剰に主張するのは、

一体誰のためになるのか。

を考える必要がありそうです。

 

私達会社員は何百~何万人という組織で動いています。

この組織は企業のために利益を追求していくことが重要です。

でないと会社が倒産してしまいます。

 

経営が悪化すれば人員・給与削減。

倒産してしまえば給料は無くなり、

再就職・・年齢によっては厳しいかもしれません。

退職金も支給されるかどうかわからない。

全体で被る損失は計り知れないものがあります。

 

その本質を理解せずに、

自分の感情に任せてゴネるのは、

あまり得策といえるものではありません。

 

個人よりも、組織や企業を優先するべき時があります。

自分の中で感じた理不尽は、

世間の常識と照らし合わせても理不尽なのか・・

周囲にとってプラスなのかマイナスなのか・・

 

しっかりと考えて、

結果的に自分の立場を苦しめてしまわないよう、

慎重な行動が求められる時があります。

 

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「道理に合わない」と感じる部分を探る

理不尽と感じるかどうかについては、

お互いの視点のすれ違いによって生まれる。

このようなことも、可能性として考えておく必要があります。

 

AがBの仕打ちを理不尽と感じたとした時、

そもそもBはそれを何とも思っていない。

つまり、Aが一方的に理不尽と感じたことになります。

 

これは自身が育ってきた環境によっても違いますし、

時代や文化によっても変わるように思います。

 

本人が海外の方に対してゴミを捨ててほしくない。

と主張しても、もしかしたら相手はゴミだと思っていない。

 

現代では違法となってしまったものも、

過去には規制を掛けられていなかった。

 

このような認識のズレ、すれ違いを防ぐためには、

相手方の背景や事情を汲む必要があります。

さらに、それが今現在と照らし合わせて逸脱しているのか。

 

このように、

理不尽であると思い込む前に深く思考を巡らせてみるのもひとつです。

すると相手方に対する想いにも何か変化が生まれるかもしれません。

 

それぞれ正義は無数にあり、

その分だけ道理もあると考えるということです。

 

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世の中の理不尽は当たり前でこの世からなくならない

結局のところ理不尽というのは、

この世から無くなることはなさそうです。

理にかなわないことが、

日常に存在しているというところが妙な話ですが・・・

 

「郷に入っては郷に従え」

 

ということわざがあることが、

過去から現在に至るまで理不尽が無くなっていない。

ということを示しているような気がしてなりません。

 

しかしこの社会における理不尽は、

マイナスの要素ばかりではなく、

うまく物事を進めていく潤滑油のような、

プラスの要素も含んでいるように思います。

 

雇用されている側の私達は上位の立場の方が必ずいて、

そこに少なからず理不尽な出来事がおこります。

 

それが組織

 

どうしても納得がいかなければ、

その人より自分が上位に立てば良い話です。

 

理不尽を理不尽でないものとすることができますし、

そもそもそんなに経験することもなくなるでしょう。

 

世の中の理不尽は永久に不滅。

であるならば、それを承知したうえで仕事で実績をあげながら、

自分の置かれた状況に応じて上手く付きあっていくこと。

 

これが大人社会の生き方・働き方といえるのかもしれません。

世の中の不条理を嘆いている方々にとって、

何か一つでも心に留めておけるような記事となっていれば幸いです。

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